突然ですが、皆さんはピアノをお好きですか?
ピアノを弾いたことがない人でも、ピアノの音はすぐに思い浮かべることができるのではないでしょうか。
一方で、ピアノは黒いボディに、白と黒の鍵盤をイメージする人が多そうです。
木目調のピアノを見て、初めてピアノは木をベースにした楽器だと気づく方も多いのではないでしょうか。
知っているようで知らないピアノと木の関係について、日本を代表する総合楽器メーカーのヤマハ株式会社さんにお話を聞いてきました。
お話をお聞きしたのは、ヤマハ株式会社楽器・音響生産本部 調達技術部 材料調達グループの海外遥香さんです。
ピアノに適した木材スプルースは“響き”が決め手!
海外さんのお仕事の内容についてお聞かせください。
[ヤマハ株式会社楽器・音響生産本部 調達技術部 材料調達グループの海外遥香さん]私の所属する調達技術部はアコースティック楽器に限らず、楽器・音響製品に必要な部品・材料を調達する部門です。その中で材料調達グループは原材料を仕入れています。私が主に担当しているのは、ピアノに使われる木材の「スプルース」
※1(マツ科トウヒ属)の調達です。
スプルースはピアノのどんなところに使われているのでしょう。
[ピアノの響板]スプルースはピアノの響板や鍵盤などいろいろなところに使われているんです。部品に合った状態のスプルースの取引を業務として行っています。 いまヤマハのピアノに使用しているスプルースはすべて海外産です。日本の木材商社さんとも取引はありますが、日本にはピアノの材料に使えるような大きなサイズのスプルースが現在ではあまりないので、安定して供給される北米や欧州、さらにはロシアからも調達しているんです。
スプルースがピアノの材料に良い理由は何でしょう。
[スプルースの板材]スプルースは響きを伝えるのに良い材質なんです。また、白っぽい木なので見た目もきれいです。スプルースと言っても、樹種に応じた遺伝的な特徴がありますし、重すぎても軽すぎても音の響きに影響がありますので、いいバランスの比重のものを選ぶんです。見た目で言えば、木目が狭くてまっすぐなものですね。
響板は重要な役割を持っているのですね。
そうですね。ピアノには数十種類の木材を使用していますが、響板はピアノの心臓部のようなもので、スピーカーの代わりに音を響かせる役目です。スプルースはそこに最適なので選ばれます。
スプルースは北米や欧州から仕入れられる、とのことですが、日本にはどのように運ばれてくるのでしょう。
楽器の木材を専門に取り扱っている取引先から、山でピアノに使えるスプルースを目利きした上で伐採したものを納品してもらうんです。楽器に使える品質で、さらに汎用品、高級品向けとグレードも分かれています。ヤマハはインドネシアと中国、日本では北海道にピアノ用に加工できる工場があるので、それぞれに発送されます。
ピアノ1台が完成するまでは1年半!
ちなみに、スプルースを調達して、ピアノが1台完成するまで、どのくらいの期間がかかるのでしょう。
調達する期間そのものは換算してはいませんが、グランドピアノ1台をつくるのに1年半ほどかかります。コンサートピアノになると3年くらいです。木を乾燥させる期間だけで少なくとも1年はかかるんですよ。
その後の製造は職人さんのような方が一人で組み立てるんですか。
ピアノは8,000点ものパーツが組み合わさってできているので、それぞれの専門領域の工程に分かれているんです。スプルースの材料からパーツの加工にも時間がかかります。鍵盤を作る人や弦を張る人、音を作る人など、様々な職人が関わって工場で組み立てられます。
8,000点ものパーツとはすごいですね!木材以外も使われているのでしょうか。
部材としては木材が8割ですが、金属のフレームも自社で作っていますし、弦を叩くハンマーはフェルト(羊の毛)でできているので、フェルトの買い付けを行う部門もあるんですよ。
ピアノは誕生してから300年ほど経ちますが、現在のピアノの形状は金属加工技術の力も大きいので、産業革命とともに進化した楽器と言えるかもしれません。宮廷音楽の時代と比べて、コンサートホールで演奏されるようになってより大きな音を求められて進化していった楽器なんですね。
ところで、海外さんは木材調達にはもともと関心があったのでしょうか。
そうですね、材料調達の分野に関心があったので希望通りに配属されました。木材を担当するにあたって、北海道にある木材を加工しているグループ会社で2週間の研修を受けたり、実物を見たりして覚えていきました。
スプルースの話に戻りますが、“良い木”というのは見て分かるものですか。
[スプルースの木] ヤマハの品質基準があるのですが、節(ふし)が入っているかどうかやその大きさ、ヤニが入ってしまっているかどうか、木目が曲がっていないかといった品質に影響をおよぼすものが段々と見えるようになります。節はもともと枝があった箇所なので、他の部分とは密度が違いますので音の伝達にも影響があるんですね。
ピアノには木目の詰まったいい木を使うので、樹齢で言えば100年以上です。楽器に使われる木材は木目が細かなものの方が音の響きも見た目もよいので、あまりに成長が早い木は木目が細かくないので逆に使いにくいんです。
“良い音”は時代や国によっても違う!
“良い木”に加えて、“良い音”の基準や定義もあるのでしょうか。
ピアノは天然の木材を使用するので、個体差もありますし、作られた時と何年か経った時とでも音は変わっていきます。その中で職人さんの個性や木の個性を活かしながら楽器を作っていくんです。
ではヤマハではどんな“良い音”を目指されていますか。
[ヤマハコンサートグランドピアノ「CFX」]良い音の定義は時代によっても国によっても異なりますし、演奏家の皆さんが求める良い音も変わっていきます。ヤマハのピアノは長年、“きれいな音”だという評価をいただいてきました。ただ、“力強い音”を求める声をいただくようにもなって、2010年に発表したのがCFXというコンサートグランドピアノです。オーケストラの中にピアノが加わった時にも、オケの音に負けないどっしりした音が出せるのが特徴です。設計から見直していくと、スプルースなどの部材も見直すことにもなるんです。
CFXは自分の表現したい音が鳴らせるようになったというピアニストの方々の評価をいただけたので、他のピアノもCFXのコンセプトを踏襲して作られるようになりました。私たちは実際に演奏するピアニストの方々に納得いただけるようなピアノを常に目指して、その時々の“良い音”を求めているというのが答えでしょうか。
ヤマハの森資源への取り組みについて
ピアノと木の関係はとても深いですね。ここからは森資源との関わりについてお聞きしたいと思います。率直に、原材料としてのスプルースが足りなくなるような心配はありませんか。
資源問題の前に、天候や虫の被害などで調達できないリスクがありますので、取引先を1社に限らずに、なるべく異なる地域の取引先を持つようにしています。
資源については、ドイツやオーストリアではそれこそ王政の時代から伐採できる量が決められていて、木を切ったらまた植えるということが循環としてされてきたそうです。林業は何百年も前から続けられていて、林道も整備されているので、日本では考えられないような自然環境でも林業が成立しているんですね。ドイツではフォレスターと呼ばれる専門知識を持った森林官の地位も高いですし、産業としても森をしっかり維持されているのだと思います。
それを聞いて安心しました(笑)。ところで海外さんも実際にスプルースがある森を見学したり視察したりすることもありますか。
ヨーロッパで森を見させていただくこともあります。国内でも北海道の森を年に何回か見に行きます。
北海道では森づくりもされているそうですね。
北海道で製材を行っているヤマハのグループ会社の北見木材は、2016年に北海道オホーツク総合振興局と地元の遠軽町とともに「『ピアノの森』設置に関する協定書」を締結しました。将来的にピアノの響板の材料として北海道産のアカエゾマツ材を安定的に供給できることを目指した森づくりの活動を行っているんです。
どんな活動をされているのでしょう。
楽器にとって木材に節はない方がいいので、森づくりとともに成長に合わせて枝打ちのお手入れをして節が残らないようにすれば、より早く楽器のために使えるようになります。それで枝打ちのイベントを行って、北海道オホーツク総合振興局の森林室の専門の方々に日頃からお手入れをしていただいています。今後は植樹や地域の方たちに参加していただけるようなこともしていこうという話も始めていて、少しずつ広がっているような実感もあります。
ヤマハはCSR活動としてこれまでにインドネシアでの植林活動や、オーボエなどの木管楽器の原材料のアフリカン・ブラックウッドを育てるタンザニアでの植林活動を行ってきました。ピアノのための森づくりの活動はここ最近に始まったところなんです。
はこじょ森林セラピーラボでは森の中での演奏会を開いたことがあります。ピアノも森の中で演奏できるといいですね。
ピアノも森から生まれた材料が使われていますので実現したら理想的ですね。屋外コンサートはありますが、森の中で実現するには運ぶのが一番の課題です。『羊と鋼の森』(2018年)という映画がありましたが、ピアノの音に森の匂いを感じた新人調律師の物語です。ピアノの音からそんなところを想像できるといいですね。
では最後に今後のヤマハとしての取り組みなどお聞かせください。
楽器メーカーは専業メーカーが多い中、ヤマハは総合楽器メーカーとして複数の楽器を製造しているユニークな会社です。総合楽器メーカーならではの挑戦ができるといいなと思います。2017年にはヴェノーヴァという新しい管楽器を生み出して、楽器では初めてGOOD DESIGN大賞をいただきました。見た目と指使いはリコーダーのようでサックスのような音が出る楽器で、30年ほどの構想期間を経て開発されたんです。もっといろんな人に演奏の機会をもてるように、ということと、リードが付いている楽器なので最初は練習しないといい音が鳴らない分、良い音を奏でられる喜びも味わえる楽器です。
ピアノの分野ではグランドピアノのようなアコースティック楽器と電子ピアノの良さを組み合わせたハイブリッドなピアノへの挑戦もしていて、多くの人に音楽に触れていただけるようにしていきたいです。ヤマハは新しいものを生み出していく社風です。
「イノベーションロード(INNOVATION ROAD)」※2、というヤマハの楽器の歴史を体験できるミュージアムもそのひとつですね。
まとめ
ピアノにとって木材は切っても切れない関係です。よい楽器へのこだわりは様々なところに現れているのですね。
そして、その木材の持続的な調達のための取り組みにも着手されています。
農業では生産者の顔が見えるトレーサビリティが注目されていますが、樹齢100年以上の木材を扱うピアノは一代どころではない脈々とした取り組みの先に世に送り出されていることになります。
ふとした時に聞こえてくるピアノの音色が、今までとはちょっと違って聞こえるんじゃないでしょうか。
※1「スプルース」:マツ科トウヒ属の総称。英名がスプルース。北半球に50種以上ある。日本ではアカマツがそれにあたる。
※2
「イノベーションロード(INNOVATION ROAD)」https://www.yamaha.com/ja/about/innovation/
この記事を書いた人
宮城 重幸
ライター
広報の仕事の傍ら、映画、演劇、音楽などの人物インタビューを中心とした取材・執筆を行う。