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わたしの縄文時代

わたしの縄文時代

近頃、縄文時代がわたしを悩ませている。

仕事がヘビーで肩こりがすごい。これは、縄文土器のせい。わたしの仕事は遺跡発掘調査事務所の作業員で、調査員のもとで様々な業務をこなす。このところ、来る日も来る日も縄文時代中期の遺跡から発掘された土器の図面を描いている。

その量と造形の凄まじさに、縄文時代の長さと奥深さとが重なって、クラクラする。

 

縄文時代は、専門家によって6期に区分されている。中期というのは今から約5400年から4500年くらい前の頃。気候は温暖化して定住化も進み、一番人口が多かったとされる時期だ。文化が最高に盛り上がって、その土器たちも調理道具にしては装飾が過剰になりゴテゴテ感を増す、あの「THE 縄文イメージ」の時代。

 

この職について12年。毎日土器に囲まれている。今日も机の上の土器を手に持ち、定規をあてる。土器のカーブにマコと言う形をとる道具をあてる。測る。測る。測る。「この紋様の意味を紐解いてみたい!」と、職場にある資料や図書館で借りた本を手当たり次第に読みまくるのだが、そこには見たこともないタイプの土器や土偶、木や石で出来た出土品まで載っていて困惑する。沼の先にはさらなる沼が広がっているではないか!

 

そうしてハタと思う。

「土器の装飾は記号、読み解けるかも。」という、その発想がそもそも、文字がある世界のわたしが考えることなのである。

土器の造形が縄文人の世界観をあらわしてるいるのは間違いない。しかし、現代人の価値観のモノサシしか持たないわたしがタイムマシーンで縄文時代に飛び込んでも、彼らがやっていることが理解できないという可能性が高い。机の上には図面を描くために使う色々な計測機器が並んでいる。これらでは測れない縄文人の世界観。あああ、あまりに遠くて切なくなってくる。

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そうはいっても、縄文時代に生きた人々も、同じ人間である。

産まれて、何かを食べて生命を維持し、繁殖して命を繋ぎ、死んでいく。この基本的な営みは同じ。

 

定住化が進んできた頃の縄文中期のいわゆる村の中央広場には墓がある事もある。この中で人々は毎日を生きた。村と村はほど良い距離を隔てて存在し、近隣の村どうしの交流もあっただろう。

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この感じ、何かに似ている。

そう、故郷だ!

 

わたしが育ったのは箱根町の仙石原という地域。今では美術館やリゾートマンションが点在し、ステキな高原の観光地感タップリの地域だが、わたしが子供の頃は、観光といえば芦ノ湖周辺。仙石原はまだまだ裏寂しい印象で、今ほど観光客も歩いていなかった。

墓は村のお寺の奥にあり、そこに並ぶ墓石には地域に住む知っている方々の苗字が刻まれている。暮らしている人々の間では、どこどこの誰々さんが結婚し子供が生まれただの、引っ越しただの、亡くなっただの情報が共有されている。顔が見える関係、というやつだ。

 

そこでの私たち子供の生活は、といえば、どこまでも続く自然物とちょっと年上の悪知恵の働くお兄さんお姉さんに囲まれて、というもの。だるま石まで歩き、温湯でザリガニを釣り、蕨やセリを採って、基地作りに精を出し、野犬に追いかけられ、山の端に沈む太陽を見る。そんな日々を繰り返した。

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わたし自身の子供時代が、縄文人の暮らしに重なって思える。

 

と、いうのも、人間の発達は人類の進化を辿っているという説がありまして。

(※ドイツの生物学者ヘッケルの仮説「個体発生は系統発生を繰り返す」)

とすれば、文字を獲得するまでの幼児期というのは、人類の段階で言えば、まるで縄文人だというわけ。

わが故郷箱根でのわたしの縄文期は、肉親や友達、地域の人々との関係性の中で生き、身体を使う事が主体の生活。それはそれは理想的な縄文人生活だったみたい。

 

そうして、縄文期を経て成長したわたしは、18歳で進学するために仙石原を出た。

正直にいうと、その当時は、濃密な人間関係から離れられてホッとした。そんな感覚も覚えている。

 

ところがアラフィフになったというこのところ、地元に残る同級生たちと連絡が復活し、たまに会って乾杯をする。そうしてるうちに地域の中で何かやろうよ!なんて感じにもなってきて、帰るところがあるのは、ああ、嬉しいなあ。

 

この身体に芯が戻ってくるような感覚はどこからくるのだろう。

 

ここでまた縄文人の作ったものにヒントを見出す。

縄文土器には露骨に女性器に見える紋様や、さらに何かが産まれているように見える装飾、それこそ男性器まんまの石棒、など、おおらかな性の表現も多い。

ここには産まれるという事が見え、村の中央には墓。そこには死が見える。

 

縄文人たちの傍にはいつも、生と死があった。それは「自分がどこからきて、どこにいくか」が、わかっている、自分は大きな循環の一部と言う世界。

 

わたしも箱根に帰ると深いところで安心するのは、自分の根っこを確認するからだ。

 

昨今は、産まれるも死ぬも病気も全て病院の中の出来事。生きるだ死ぬだなんて事とは随分距離のある日常の、ツルリとした世界の住人のわたし。そんなわたしが今日も必死に目の前にそそり立つ縄文土器に定規を当てる。

「大きいなあ」と思うのである。
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この記事を書いた人

今井しょうこ(いまいしょうこ)

遺跡系エッセイスト

神奈川県箱根町出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。学芸員資格取得。2010年、ハローワークに出ていた求人で遺跡発掘事務所に雇われる。業務は遺跡の発掘から報告書作成のための整理作業まで多岐にわたる。自身の経験をもとにした著書「マンガでわかる考古遺跡発掘ワーク・マニュアル」「マンガでめぐる考古遺跡・博物館」(創元社)がある。

note  http://note.com/shokorunrun
Twitter  http://twitter.com/tanu_ima

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