人の役にたちたい
私たちはやはり、誰かの力になれるときは嬉しいものです。
そんなときは、自分の存在価値を実感できるからでしょう。
人の役に立つこと、これは誰しもが望んでいることなのかもしれません。
モモはどこにでもいるようでいて、どこにもいない
何も使わずに素手で、人の役にたつことができます。
それは話を聞くことです。
「そんな簡単なこと?」と思うかもしれませんが、誰かの話に自分のエネルギーと時間をかけて聞き入ることは、ある意味、自分の全存在を相手のために使うことでもあります。
「そんな大げさなこと?」と思うかもしれませんが、それを成し遂げたわずか10才足らずの女の子がいました。(※)
ドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデの最高傑作といわれる『モモ』の主人公モモです。
「誰かの話に自分のエネルギーと時間をかけて、聞き入ること」、それは簡単なことのように見えて、実はとても大変なこと。
それは空気や水と似ているかもしれません。
大変なものは、実はごく普通でありふれてみえて、目立たないもの。
※モモは年齢不詳です。物語では、見た目は10才足らずともありますが、モモ自身は100才と言っています。
ひとに力を与える聞き方
モモの聞き方は、何のことはありません。空気のような感じです。
「彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。」(*)
そして、
「その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。」
どこにでもあるといえば、ありそうな話の聞き方ですね。
ただし、モモに話を聞いてもらうと、
「じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです」とのこと。
このようにして、モモは多くの人に力を与え、希望や勇気を与え、悩みや問題が解決していくのです。
いつのまにか、円形劇場あとで話を聞いていたモモのところには、行列ができるようになっていったのです。
みなさんの時間どろぼうは何ですか?
おりしも、モモの物語には、時間どろぼうが登場し、人々の心から余裕が消えていきます。まさに心を亡くし、忙しくなっていく状況です。
いま、みなさんから時間を奪う、時間どろぼうは何ですか?
私事で恐縮ですが、筆者は小さい頃より、ディスプレイに弱く、次々と時間を奪われてきました。
子どもの頃は、ゲームセンターのゲームやTV番組であり、大人になってからはパソコンやネットであり、今はスマホです。
ディスプレイの前で多くの時間を費やし、ほかのことをする時間はどんどんなくなっていきました。
心のスキマがあるかぎり、時間どろぼうはいつもそばにいる
さて、そうした時間どろぼうから時間を取り戻すためには、どうしたらよいのでしょうか?
やや乱暴にするなら、どろぼうを抹殺して目の前から消し去ることです。筆者がそうしたように、部屋からTVを撤去すればよいでしょう。
けれども、本当は、それでは問題は何も解決しません。
なぜなら、心のスキマはそのままで何も変わっていないからです。
心のスキマがある限り、時間どろぼうは虎視眈々(こしたんたん)と狙ってきます。
心のスキマは埋まるの?
心のスキマはどうやって埋めたらよいですか?
その答えは、簡単には出てきませんが、モモがそうしたように、自分の全存在をかけて人と接することができたら、何かが変化していくのかもしれません。
時間どろぼうにあったら、自然とふれあいに
そして、もうひとつのカギは自然にあると思っています。
皆さんの時間どろぼうが何かはわかりません。
ですが、時間どろぼうにあったら、イキイキとした自然と触れ合いに出かけてみてください。
できれば手持ちのモノは少なめにして、森に出かけていってみましょう。
耳を澄ましてみると、自然はおどろくほど黙って、皆さんの心を聴いて、受け止めてくれていることと思います。
時間どろぼうは、いつも私たちのそばにいます。
時間をとられたり、とられそうになったときには、モモになろうとしてみたり、自然に行ったりできるといいですね。
*引用文献:ミヒャエル・エンデ『モモ』1976年、岩波書店
この記事を書いた人
新行内勝善(しんぎょううち かつよし)
心理カウンセラー、森林セラピスト、精神保健福祉士。
東京メンタルヘルス社にて、メンタルヘルス相談や、心の病からの職場復帰をサポート。
職場復帰プログラムでは森林セラピーを導入。
また、スクールソーシャルワーカーとして小中学校の子どもたちと家庭をサポート。