「普通」じゃない黒猫
「この子はね、『普通』の子じゃないの」
その方は、毛並みのいい黒猫の方を指差して、そう言いました。
次に、もう1匹いるキジトラ柄の小さめの猫の方を指差して、「この子はね、『普通』が残っているの」とも。
黒猫の方は「自然が残っていない」ところがあって、「ペット化」されてしまってきているようです。
通常、猫は怒るととても恐いしかめっ面をして、背中を高く持ち上げ毛を逆立てます。と同時に、「シャーッ」と、殺気ある唸り声を腹の底から発します。敵を威嚇する態勢です。
ところが、自然が残っていない、「普通」じゃないこの黒猫は、そういった威嚇行動が出来ないのか、全くしないそうです。
何気ない会話でしたが、筆者はこの話を聞いてとても考えさせられました。
人間にとっての「自然」とは?
その人は、「自然が残っていること」を「普通」と言いました。猫ではなく、人間に置き換えて考えるとどうなるのでしょうか?
私たち人間はといえば、現代の日本社会においては、「自然が残っていない」方がおそらく普通なのではないでしょうか?
では、人間にとっての「自然」とはどういうことなのでしょうか?
欲望のままに動くことを「自然」というのでしょうか?
闘争本能むき出しになることを「自然」というのでしょうか?
社会において、私たち人間は、欲望のままに動くのではなく、常に人の目を意識して、節度を持った行動が求められます。社会にはルール、マナー、法律があり、それらを踏み外さないことを求められます。
「社会化」し過ぎて苦しくなってしまうことも
社会学では、「社会化(socialization)」という言葉を使い、ルールを身につけていくプロセスについて説明しています。
人は産まれたときはほぼ自然の状態であるけれども、その後「しつけ」や「教育」を通して、社会のルールを身につけていき、社会化されていくと言っています。
社会化は、社会を形成・維持し、集団で生きていく方略をとっている人間全体にとっては好ましいこと、必要なことです。
ただし、全体から個々人に目を移してみると、社会化の苦しさから心の不調をきたしてしまっているような方たちも多く見られます。特にそういった方たちに多く接している、カウンセラーの立場からすると複雑な思いです。
例えば、子どもたちに目を向けると、これまでの心の無理がたたって、不登校となってしまうことがあります。
「どうしてこんないい子が、優しい子が不登校になってしまうの?」という声を聞くことがあります。実は、いい子だからこそ、優しい子だからこそ、自分の気持ちを抑えすぎたり、周りにわがままに振る舞えなかったがために、心が堪えきれずに不調をきたしてしまうことがあるのです。
馬や猫のたたずまいに癒されるとき
そんな子どもや家庭が、何かのきっかけをつかんで、一歩踏み出すことがあります。
例えば、高層マンションに住む不登校のある子は、親に連れられていった乗馬がきっかけとなりました。乗馬が楽しくて、外に出るきっかけをつかんでいきました。
馬については、ホースセラピー(horse therapy)という手法もあるほどに、メンタルヘルスに一定の効果が認められています。特に心を閉ざしてしまったときや、人との関係に苦慮しているときには、あの馬の邪心のない目というか、馬が醸し出すたたずまいが、とてもいい波長となって影響を与えるのでしょうか、心に変化をもたらすようです。
ホースセラピーは動物介在療法(アニマルセラピー)というカテゴリーに入りますが、他にイルカのドルフィンセラピーもありますし、もっと身近なところでは犬猫など小動物とのペットセラピーもあります。
森林セラピーは、植物介在療法のひとつ
動物介在療法は動物を介在させて癒しをもたらすというものですが、植物介在療法もあります。植物や花を介在させる療法です。
森林セラピーも大きくはそのカテゴリーに入りますが、土に触れ、植物を育てる園芸療法もあれば、アロマエッセンスを使ったアロマテラピーもありますし、生花を使った花セラピーもあります。
社会のルールの中で疲弊し過ぎてしまうこともある私たちには、動物や植物とふれあっての楽しいひとときは、とても貴重なことであるように思われます。
この記事を書いた人
新行内勝善(しんぎょううち かつよし)
心理カウンセラー、森林セラピスト、精神保健福祉士。
東京メンタルヘルス社にて、メンタルヘルス相談や、心の病からの職場復帰をサポート。
職場復帰プログラムでは森林セラピーを導入。
また、スクールソーシャルワーカーとして小中学校の子どもたちと家庭をサポート。